なんと、今日からクールビスだという。
それも10月末までの半年間。
国や地方公共団体が率先して実施する。
って言うか、5月、10月は涼しい日も多い。
“クールビズ”っていう言葉自体どうだろうか。
ちょっと違和感は残るが...。
とは言っても、やはり節電は半強制的に実施されるのは免れない。
5月とはいえ暑い日のネクタイ着用はしんどい。。。
エアコンの設定は恐らく30度になる。
昨年、区役所に行ったら、職員は皆汗だくで事務仕事をしていた。
扇風機を回しながら。
そのとき、各役所では28度のエアコン設定を励行していた。
それが今年はさらに2度上がる。
今の時期はまだいいとして、7〜9月が思いやられる。
もはや、クールビズの問題ではない。
恐らく、仕事にならない。
それにしても、昔の人は偉い。昭和の終わりくらいまで普通にエアコンなどなかった。
自分が東京に来た昭和63年は会社はエアコンが入っていたが、JRや地下鉄はまだほとんどが扇風機だった。「冷房車」に乗れればラッキーと思ったものだ。
文句言いたいけど、仕様がないね。
寡黙に頑張りましょう。
せめて猛暑でないことを祈ります。
大マジで...(>∧<)
2011年05月01日
えっ!?クールビズ?
posted by かついぬ at 22:58| Comment(2)
| 日記
2011年04月16日
1766
ついに止まったか...。
連続試合出場。
しかも8回2アウト。
1塁ランナー俊足の俊介。
終盤1点を取りに行くには走るのは当然のケース。
しかし、まさかの盗塁死。
そしてチェンジ。
あらららら。
さすがの真弓監督も金本を9回の守備にはつかせなかった。
そりゃそうだよね。
そんなことしたら大バッシングされるもん。
金本自身もそれは本意じゃないはず。
記録はいずれ止まるもの。
もし、このまま今シーズン成績が振るわなかったら間違いなく引退。
いや、ひょっとしたらシーズン途中もあり得る。
オイラと年はそんなに変わらない。
個人的には“有終の美”を飾ってほしいと思う。
仙台にも縁がある。
東北福祉大の時から知っている。
一度、福祉大球場で練習試合を観たことがある。
そしてこの度の震災。
posted by かついぬ at 02:08| Comment(0)
| 阪神タイガース
2011年04月15日
江戸前の不安(-_-;)
先日、清掃業者が面白い話をしてくれた。
あの大震災の直後、物流が滞り、八重洲の中央郵便局では食品の廃棄物が5トンにも上ったらしい。
また、北関東や福島の野菜が敬遠されているが、何かしら問題が発覚した時点で基本は全て廃棄。
放射能とかの問題ではなく、例えば1000箱のホウレン草が市場に入ったとして、その中のたった1箱に痛んだホウレン草がちょっとでも入っていれば、1000箱全て返品となる。
しかし、返品だと「送料」という多大なコストがかかる。
ゆえに、廃棄したほうが安いという結論になる。
1000箱全てだ。
廃棄業者はもったいないので、いくらか貰うみたいだが。
どうせ捨てるんだし。
しかし、ホントもったいない。
なんとかなんないの?
あと、東京湾のゴミ処分場の話。
昔は「夢の島」。
今は違う場所だが、業者の話では今後直接捨てに行ってはいけないらしい。
分別するなど、中間処理場を経由する必要があるとのこと。
よって、その分コストが上乗せされる。
中間処理場を持ってる業者はいいが、中小などのそれを持っていない業者は仕事が取れなくなる。
なんでもかんでも捨てれない。
何をいまさら、という気もするが...。
そして今は分別、リサイクルの時代。
その清掃業者のリサイクル率を聞いてビックリした。
なんと驚愕の98%!
それって回収されたゴミほとんどリサイクルされてんじゃん!
そんなオイラの様子を見て、業者は当たり前のように言った。
「それは普通です」
話は戻って東京湾のゴミ処分場。
夢の島は今はガス抜きをし、立派な緑地公園になっている。
が、その間、高度成長期からずっと訳の分からんゴミを東京湾に投棄してきた。
最近まで。
清掃業者は言う。
「私は江戸前など絶対食べません」
なるほど。
説得力あるなー。
いったいどんな有毒な物質が蓄積されているんだろう。
きっと海によって浄化されるんだろうけど、果たしてどれだけ浄化されてるんだろうか。
あれだけのゴミの量である。
何十年にも及ぶ東京都民のゴミである。
ひょっとして放射能汚染と大差ないのでは?
恐ろしい。。。(″ロ゛)/
あの大震災の直後、物流が滞り、八重洲の中央郵便局では食品の廃棄物が5トンにも上ったらしい。
また、北関東や福島の野菜が敬遠されているが、何かしら問題が発覚した時点で基本は全て廃棄。
放射能とかの問題ではなく、例えば1000箱のホウレン草が市場に入ったとして、その中のたった1箱に痛んだホウレン草がちょっとでも入っていれば、1000箱全て返品となる。
しかし、返品だと「送料」という多大なコストがかかる。
ゆえに、廃棄したほうが安いという結論になる。
1000箱全てだ。
廃棄業者はもったいないので、いくらか貰うみたいだが。
どうせ捨てるんだし。
しかし、ホントもったいない。
なんとかなんないの?
あと、東京湾のゴミ処分場の話。
昔は「夢の島」。
今は違う場所だが、業者の話では今後直接捨てに行ってはいけないらしい。
分別するなど、中間処理場を経由する必要があるとのこと。
よって、その分コストが上乗せされる。
中間処理場を持ってる業者はいいが、中小などのそれを持っていない業者は仕事が取れなくなる。
なんでもかんでも捨てれない。
何をいまさら、という気もするが...。
そして今は分別、リサイクルの時代。
その清掃業者のリサイクル率を聞いてビックリした。
なんと驚愕の98%!
それって回収されたゴミほとんどリサイクルされてんじゃん!
そんなオイラの様子を見て、業者は当たり前のように言った。
「それは普通です」
話は戻って東京湾のゴミ処分場。
夢の島は今はガス抜きをし、立派な緑地公園になっている。
が、その間、高度成長期からずっと訳の分からんゴミを東京湾に投棄してきた。
最近まで。
清掃業者は言う。
「私は江戸前など絶対食べません」
なるほど。
説得力あるなー。
いったいどんな有毒な物質が蓄積されているんだろう。
きっと海によって浄化されるんだろうけど、果たしてどれだけ浄化されてるんだろうか。
あれだけのゴミの量である。
何十年にも及ぶ東京都民のゴミである。
ひょっとして放射能汚染と大差ないのでは?
恐ろしい。。。(″ロ゛)/
posted by かついぬ at 21:25| Comment(0)
| 日記
2011年04月14日
ベールを脱いだEU大使館
なんか近所にけったいな建物が出来てきた。
EU大使館関連施設、と言うらしい。
仮称かな。
外壁はコンクリートの打ちっぱなしに、なんと“銅板”がサイディングされている。
独特である。異様である。
この辺は「大使館街」だ。
隣には、これも最近出来たパキスタン大使館。
これらの土地は元々公務員宿舎が建っていた国有地。
南麻布高台の東京タワーが望める超一等地である。
宿舎を廃止し、売却することが決まった当時、森ビルが「金はいくらでも出すから是非売ってくれ」と言ってきたらしい。
国有地は民間への相対での売却はあり得ない。
基本、公売だ。
この場所でこれだけまとまった土地だ。
誰しも欲しい。
港区大好き業者はいっぱいいる。
特に森ビルさんは港区に固執する。
いつだったか、社長が「港区の土地は全部買え」と言ったことが噂になった。
買い占めて港区改め森区とでもするんだろうか。
でも残念ながら、国は大使館関係や公共施設に限った売却と決めた。
よって、公売もなし。
がっかりだね、森ビルさん。
それにしても、この銅板の外壁はデザイン性を重視したのだろうか。
機能性とは思えないのだが。
ひょっとして、コンクリートの腐食や酸化を防ぐのかな。
ある人によれば、時が経つことによって、くすんだ感じになり味が出るのだそうだ。
何年後かな。
あっ、ネットで調べよう。
なになに、「銅版は、最初赤橙色で、時間の経過とともに、暗褐色色、緑青色に変化していきます。4月から9月の高温な時期に変化幅が大きく、緑青色までには通常20年かかります」
だって。
20年か...。
頑張って観察するか...(^^;;)
posted by かついぬ at 22:20| Comment(0)
| 日記
2011年04月13日
1000年に1度?だから?
今回の震災をよく「1000年に1度の大震災」と称される。
どういうこと?
「1000年に1度の震災にたまたま遭遇した。しょうがないよ」ってこと?
冗談じゃない。
そんな言い方は言語道断だ。
そんなこと言ってる連中は「天災は忘れた頃にやって来る」という諺を知らないと見える。
かわいそうに。学がないんだね。
一寸先は闇。
地殻変動が活発らしい。
数分後に東京を大地震が襲うかもしれない。
数分後に福島原発が再臨界を起こすかもしれない。
このドサクサに北朝鮮が東京にミサイルを発射するかもしれない。
それらに対しても何かに理由をつけて「しょうがないよ」と言うんだろうか。
冗談じゃない。
そういえば、産経新聞の記事にこんなことが載っていた。
“首相官邸には大震災の新聞記事の切抜きが山積みになっている”と。
菅首相はそこにこもっている。
何やってんの?
まさか首相自ら切抜きしてるわけじゃないよねー?
十分あり得る。
冗談じゃないよ〜(-_-;)/
どういうこと?
「1000年に1度の震災にたまたま遭遇した。しょうがないよ」ってこと?
冗談じゃない。
そんな言い方は言語道断だ。
そんなこと言ってる連中は「天災は忘れた頃にやって来る」という諺を知らないと見える。
かわいそうに。学がないんだね。
一寸先は闇。
地殻変動が活発らしい。
数分後に東京を大地震が襲うかもしれない。
数分後に福島原発が再臨界を起こすかもしれない。
このドサクサに北朝鮮が東京にミサイルを発射するかもしれない。
それらに対しても何かに理由をつけて「しょうがないよ」と言うんだろうか。
冗談じゃない。
そういえば、産経新聞の記事にこんなことが載っていた。
“首相官邸には大震災の新聞記事の切抜きが山積みになっている”と。
菅首相はそこにこもっている。
何やってんの?
まさか首相自ら切抜きしてるわけじゃないよねー?
十分あり得る。
冗談じゃないよ〜(-_-;)/
posted by かついぬ at 19:45| Comment(0)
| 日記
2011年04月12日
消費爆発の予感!?
一昨日、中目黒に出かけた。
天気もよかったし、目黒川沿いをのんびり散歩しながら花見をする作戦だったが、えらい目に遭った。
なんなのこの人の山!
中目黒の花見はほぼ毎年行っているが、こんな人だかりははじめて。
まるで朝の新宿駅状態。
震災による自粛の反動なんだろうか。
結局、相方が人混みを嫌がったため、駅前のメインから外れた川沿いを通り、桜を少し眺めてから帰路についた。

そもそも日本人は花見好きである。
どうしても見たい。
とりあえず、夜桜は控え、酒も控え、騒がず、自粛ムードを残したまま見よう。
と、皆が思ったんだろうか。
そういえば、近くの公園でも騒いでる輩はいなかったし、酒盛りしてるふうでもない。
ただ人がやけに多いだけ。
でも、長引く自粛の反動も少なからずあったと思う。
人間、押さえ込まれると解き放たれたくなる。
その押さえ込まれる時間が長ければ長いほど、その解き放たれる反動は大きい。
今後、何かのきっかけで消費が爆発するかもしれない。
中目黒の人混みにはそんな予感を感じさせるものがあった。(^^)/
天気もよかったし、目黒川沿いをのんびり散歩しながら花見をする作戦だったが、えらい目に遭った。
なんなのこの人の山!
中目黒の花見はほぼ毎年行っているが、こんな人だかりははじめて。
まるで朝の新宿駅状態。
震災による自粛の反動なんだろうか。
結局、相方が人混みを嫌がったため、駅前のメインから外れた川沿いを通り、桜を少し眺めてから帰路についた。
そもそも日本人は花見好きである。
どうしても見たい。
とりあえず、夜桜は控え、酒も控え、騒がず、自粛ムードを残したまま見よう。
と、皆が思ったんだろうか。
そういえば、近くの公園でも騒いでる輩はいなかったし、酒盛りしてるふうでもない。
ただ人がやけに多いだけ。
でも、長引く自粛の反動も少なからずあったと思う。
人間、押さえ込まれると解き放たれたくなる。
その押さえ込まれる時間が長ければ長いほど、その解き放たれる反動は大きい。
今後、何かのきっかけで消費が爆発するかもしれない。
中目黒の人混みにはそんな予感を感じさせるものがあった。(^^)/
posted by かついぬ at 20:58| Comment(0)
| 日記
2011年04月01日
実家が被災...(>_<)追加
オイラが復旧の手伝いに行った3日間は仙台市内もガスが来ておらず、風呂には入れなかった。それどころか、朝は大層冷たい水で顔を洗う。
その間、疲れも感じず、「おっ、意外と大丈夫だな。まだまだいけるな」と思った。
しかし、東京に帰るとすぐに脱力感に襲われた。
グッタリだった。
向こうでは気を張っていたからか、あまり感じなかったが、その実、かなり疲れていたようだ。
その晩の風呂のなんと気持ちいいこと。
疲れが一気に流れていくようだった。
しかし、その期間は“たった3日"である。
何週間も湯船に浸かれない被災者の人たちは、いったいどれだけ疲弊していることだろう。
洗濯も出来ない。
弟などは5日も同じパンツだと言っていた。
計画停電や節電の影響が多少あるとはいえ、東京はもうほぼ平常だ。
街を歩く皆の顔も明るく感じられる。
もはや「喉元過ぎれば何とか」なんだろうか。
申し訳ない。
今日、父と弟に電話したら、昨日から実家に水が復旧し、「部屋の中の泥落としが出来る」と喜んでいた。
しかし、周辺でも復旧し一気に水が使われたからだろうか、今日は出ないみたいだ。
食料は多くのスーパーがかなり復旧し、営業しているらしく、調達には問題ないようだ。
ただ、ガソリンは相変わらず。
かなりの量が入ってきているようだが、営業できるガソリンスタンドが少ないため、思うように供給が出来ないとのこと。
まっ、徐々に回復するんだろうけど。
東北は完全なる車社会。
車がないと何にも出来ない。
極端な話、生きていけない。
物を調達しに行かなければならない。
家族を乗せて病院へ連れて行かなければならない。
その生活を支える、もっと言うと、命をつなぐ車がない。
ガソリン不足もさることながら、そもそも幾台もの車が水没してしまった。
なんとしても買わなければならない。
ところが、気仙沼ではこんな問題が起きている。
弟と行った中古車屋の話だ。
「気仙沼市役所ではこの震災のせいなのか印鑑証明書が発行できないらしく、車庫証明すら取れずたくさんの人たちが困っているようだ。軽自動車であれば車庫証明不要なので購入可能だが、家族が多く、物も運びたいとなると、乗用車を買わざるを得ない」
なんとかならないのかなぁ。
行政も大変だけどね。
この車の話はたくさんある問題のほんの一つに過ぎない。
前回も触れたが、これから色んな問題が表面化すると思われる。
ちょっと考えただけでも気が重くなるけど、通り過ぎるわけにはいかない。
少しでも協力したいと思う(-_-)
その間、疲れも感じず、「おっ、意外と大丈夫だな。まだまだいけるな」と思った。
しかし、東京に帰るとすぐに脱力感に襲われた。
グッタリだった。
向こうでは気を張っていたからか、あまり感じなかったが、その実、かなり疲れていたようだ。
その晩の風呂のなんと気持ちいいこと。
疲れが一気に流れていくようだった。
しかし、その期間は“たった3日"である。
何週間も湯船に浸かれない被災者の人たちは、いったいどれだけ疲弊していることだろう。
洗濯も出来ない。
弟などは5日も同じパンツだと言っていた。
計画停電や節電の影響が多少あるとはいえ、東京はもうほぼ平常だ。
街を歩く皆の顔も明るく感じられる。
もはや「喉元過ぎれば何とか」なんだろうか。
申し訳ない。
今日、父と弟に電話したら、昨日から実家に水が復旧し、「部屋の中の泥落としが出来る」と喜んでいた。
しかし、周辺でも復旧し一気に水が使われたからだろうか、今日は出ないみたいだ。
食料は多くのスーパーがかなり復旧し、営業しているらしく、調達には問題ないようだ。
ただ、ガソリンは相変わらず。
かなりの量が入ってきているようだが、営業できるガソリンスタンドが少ないため、思うように供給が出来ないとのこと。
まっ、徐々に回復するんだろうけど。
東北は完全なる車社会。
車がないと何にも出来ない。
極端な話、生きていけない。
物を調達しに行かなければならない。
家族を乗せて病院へ連れて行かなければならない。
その生活を支える、もっと言うと、命をつなぐ車がない。
ガソリン不足もさることながら、そもそも幾台もの車が水没してしまった。
なんとしても買わなければならない。
ところが、気仙沼ではこんな問題が起きている。
弟と行った中古車屋の話だ。
「気仙沼市役所ではこの震災のせいなのか印鑑証明書が発行できないらしく、車庫証明すら取れずたくさんの人たちが困っているようだ。軽自動車であれば車庫証明不要なので購入可能だが、家族が多く、物も運びたいとなると、乗用車を買わざるを得ない」
なんとかならないのかなぁ。
行政も大変だけどね。
この車の話はたくさんある問題のほんの一つに過ぎない。
前回も触れたが、これから色んな問題が表面化すると思われる。
ちょっと考えただけでも気が重くなるけど、通り過ぎるわけにはいかない。
少しでも協力したいと思う(-_-)
posted by かついぬ at 21:56| Comment(2)
| 日記
2011年03月30日
実家が被災...(>_<)その参
さて、避難所にはほどなく支援の食料などが入ってきた。
やはり、テレビで見ている通り、菓子パンやおにぎりの類が多い。
うちの実家は父を入れて家族5人。
もちろん、最初のうちは食べられれば文句は言わないものと思っていた。
ところが、そうでもなかったようである。
ある日の昼、大人の手のひら大のでっかい「あんぱん」が1人2個づつ支給された。
家族5人では10個である。
とりあえず大人は食べれるが、小さい子供は食べきれない。何個か残る。
そして夜。
またしても「あんぱん」2個づつ。
皆さすがに嫌気がさすものの、頑張って食べるか、後々のためにいくつか残しておく。
在庫が増える。
そして翌朝。
なんと、またしても「あんぱん」2個づつ。
これにはさすがの弟も「嫌がらせ?」と思ったらしく、取りに行かなかったようだ。
う〜ん、贅沢は言えないとしても、1家族で1日3食が「あんぱん」。
しかも、その数1日で計30個!
これは、さすがのあんぱん好きでもキツイわ。
支援物資の配分をもう少し工夫できなかったのかな。
今となっては笑い話だけど。
あと、衣類の支援物資。
これも善意に水を差すかもしれないが、「えっ、何でこれなの?」というものが結構あったらしい。
古着は古着でも洗濯もしてないようなものとか、古すぎてゴミ同然のようなものとか、あとなんと言っても酷いのが「半ズボン」。
あんなに雪が降りしきる映像や、寒さで震えている被災者をテレビで伝えているにも関わらず、である。
いてもたってもいられず、すぐにでも何とかしたいという気持ちも分からないでもないが、ほんのちょっと考えれば分かりそうなもの。
結果、衣類のゴミは日に日に溜まる一方である。
今後、色んな細かい問題出てくる。
特に“その壱”でも書いたが、瓦礫などの水に浸かった「ゴミ」。
父も言っていたが、夏に入るまでに何とかして欲しいところだ。
が、たぶん無理だろう。
このまま夏まで放置されれば、当然臭いが出る。虫が湧く。また、感染症などの病気が蔓延する恐れがある。
実家のあたりは、過去にも台風による大雨などで数回水が上がっている。
25年前の夏には床上浸水もした。
その時は割りに早く復旧している。
通常、水が引けば、皆がすぐ外に散らばったゴミを片付け、その後市役所がすぐ消毒に来る。
早い。
しばらくは消毒臭いが、病気が流行るよりマシだ。
今回はどうだろうか?
やっぱり無理かな。
今までの量とは比べものにならないし。
住民自ら消毒するしかないか。
でもその前にゴミを退かせられるのか。

26日、ある程度の作業を終え、仙台に戻るのに、弟の会社の同僚の車に便乗することが出来た。
弟は、仙台の中古車屋に用があるとのことで、たまたま南三陸町の志津川というところに実家のあるその同僚と連絡がついたのだ。
彼は仙台のアパートに戻る途中だと言う。
彼は震災後すぐに志津川に向かい身内の安否を確認しに行ったのだ。
幸い実家も高台らしく、無事だったらしい。
それでも“間一髪”だったそうだ。
仙台に向かうには多賀城を通るため、彼に拾ってもらって便乗したのだ。
彼は車や瓦礫の散らばる多賀城の国道45号線の惨状を見てこう言った。
「南三陸より全然マシっす。向こうはゴミ以外何にもないっす」
多賀城は水に浸かりはしたが、建物はまだある。
苦笑するしかなかった。
そういえば、父がポツンとこんなことを言っていた。
「関西大震災とか、他のところの災害や避難所の様子をテレビで見て大変だなぁ、と思ってたが、まさか自分らがこんな目に遭うとは思ってもみなかった。」
これが、災害にあった人たちの“実感”である。
他人事ではない。
自分だって、もし上京せず仙台で仕事していれば巻き込まれたかもしれない。
そして、たまたま海沿いのお宅で商談していて津波に遭ったかもしれない。
商談から帰る途中、車の中で溺れ死んだかもしれない。
ホント、リアルに他人事じゃない。
故郷が、家族が被災したんだから。
1ヶ月後のGWにはまた帰省する。
状況は良くなってるだろうか。
少なくとも、インフラは全て復旧し、ゴミはある程度撤去され、実家もリフォームに取りかかれればいいけど...。
早期の復旧を心よりお祈りします。
あっ、そうそう、それと自身も準備しないと。
万一の災害時のために。
えーと、まずはカップラーメンと乾電池とガスボンベを買い占めて...。
あっ、まだダメダメ。
今はダメ。(x_x;)
やはり、テレビで見ている通り、菓子パンやおにぎりの類が多い。
うちの実家は父を入れて家族5人。
もちろん、最初のうちは食べられれば文句は言わないものと思っていた。
ところが、そうでもなかったようである。
ある日の昼、大人の手のひら大のでっかい「あんぱん」が1人2個づつ支給された。
家族5人では10個である。
とりあえず大人は食べれるが、小さい子供は食べきれない。何個か残る。
そして夜。
またしても「あんぱん」2個づつ。
皆さすがに嫌気がさすものの、頑張って食べるか、後々のためにいくつか残しておく。
在庫が増える。
そして翌朝。
なんと、またしても「あんぱん」2個づつ。
これにはさすがの弟も「嫌がらせ?」と思ったらしく、取りに行かなかったようだ。
う〜ん、贅沢は言えないとしても、1家族で1日3食が「あんぱん」。
しかも、その数1日で計30個!
これは、さすがのあんぱん好きでもキツイわ。
支援物資の配分をもう少し工夫できなかったのかな。
今となっては笑い話だけど。
あと、衣類の支援物資。
これも善意に水を差すかもしれないが、「えっ、何でこれなの?」というものが結構あったらしい。
古着は古着でも洗濯もしてないようなものとか、古すぎてゴミ同然のようなものとか、あとなんと言っても酷いのが「半ズボン」。
あんなに雪が降りしきる映像や、寒さで震えている被災者をテレビで伝えているにも関わらず、である。
いてもたってもいられず、すぐにでも何とかしたいという気持ちも分からないでもないが、ほんのちょっと考えれば分かりそうなもの。
結果、衣類のゴミは日に日に溜まる一方である。
今後、色んな細かい問題出てくる。
特に“その壱”でも書いたが、瓦礫などの水に浸かった「ゴミ」。
父も言っていたが、夏に入るまでに何とかして欲しいところだ。
が、たぶん無理だろう。
このまま夏まで放置されれば、当然臭いが出る。虫が湧く。また、感染症などの病気が蔓延する恐れがある。
実家のあたりは、過去にも台風による大雨などで数回水が上がっている。
25年前の夏には床上浸水もした。
その時は割りに早く復旧している。
通常、水が引けば、皆がすぐ外に散らばったゴミを片付け、その後市役所がすぐ消毒に来る。
早い。
しばらくは消毒臭いが、病気が流行るよりマシだ。
今回はどうだろうか?
やっぱり無理かな。
今までの量とは比べものにならないし。
住民自ら消毒するしかないか。
でもその前にゴミを退かせられるのか。
26日、ある程度の作業を終え、仙台に戻るのに、弟の会社の同僚の車に便乗することが出来た。
弟は、仙台の中古車屋に用があるとのことで、たまたま南三陸町の志津川というところに実家のあるその同僚と連絡がついたのだ。
彼は仙台のアパートに戻る途中だと言う。
彼は震災後すぐに志津川に向かい身内の安否を確認しに行ったのだ。
幸い実家も高台らしく、無事だったらしい。
それでも“間一髪”だったそうだ。
仙台に向かうには多賀城を通るため、彼に拾ってもらって便乗したのだ。
彼は車や瓦礫の散らばる多賀城の国道45号線の惨状を見てこう言った。
「南三陸より全然マシっす。向こうはゴミ以外何にもないっす」
多賀城は水に浸かりはしたが、建物はまだある。
苦笑するしかなかった。
そういえば、父がポツンとこんなことを言っていた。
「関西大震災とか、他のところの災害や避難所の様子をテレビで見て大変だなぁ、と思ってたが、まさか自分らがこんな目に遭うとは思ってもみなかった。」
これが、災害にあった人たちの“実感”である。
他人事ではない。
自分だって、もし上京せず仙台で仕事していれば巻き込まれたかもしれない。
そして、たまたま海沿いのお宅で商談していて津波に遭ったかもしれない。
商談から帰る途中、車の中で溺れ死んだかもしれない。
ホント、リアルに他人事じゃない。
故郷が、家族が被災したんだから。
1ヶ月後のGWにはまた帰省する。
状況は良くなってるだろうか。
少なくとも、インフラは全て復旧し、ゴミはある程度撤去され、実家もリフォームに取りかかれればいいけど...。
早期の復旧を心よりお祈りします。
あっ、そうそう、それと自身も準備しないと。
万一の災害時のために。
えーと、まずはカップラーメンと乾電池とガスボンベを買い占めて...。
あっ、まだダメダメ。
今はダメ。(x_x;)
posted by かついぬ at 21:09| Comment(0)
| 日記
2011年03月29日
実家が被災...(>_<)その弐
避難所生活は皆2週間を過ぎていた。
一見すると分からないが、よく見るとさすがに皆疲れている。
当然だよね。
父と小さい甥っ子が風邪を引いていた。
また、他の人たちも体調悪そうに見える。
体育館ステージ前にある、でかいテレビでは高校野球を映していた。
地震当日、ここに来た時の父の話が生々しい。
その日父は共働きの弟夫婦の代わりに甥っ子を車で保育園に迎えに行くところだった。
そしてあの激しい揺れの中、車から降りてガードレールにしがみ付き、収まるまでしゃがんでいたそうだ。
揺れが止み甥っ子を車に乗せ、家に着くや否や当然のように地震警報が町内に響き渡る。
“6mの津波が来る”とのこと。
父は急いで甥っ子を車に乗せ、指定避難所である小学校へ出発。
ところが幹線道路に接続するまでの路地は既に渋滞。
今となっては、この渋滞が幸いした。
もし、タイミング悪く道路に乗った後に渋滞に巻き込まれていたら、津波を受けたかもしれなかった。
今回は車の中で溺死した人が数多くいた。
彼らは車を放置して逃げることをしなかった。
渋滞で後続の車の迷惑になるから降りられなかったのか。
父は、やむを得ず引き返し、車を置いて徒歩で再出発。
雪がたくさん降っていたようで、甥っ子は徒歩を嫌がったらしい。
しかし、父は冷静だった。
誰もが「こんなところまで津波は来やしない」と高をくくっていたか、「そんなすぐに来るはずがない」と甘く見ていた。
実際、ここは海からは5〜6kmある。
だから、のんびりと逃げようともしない人、渋滞で車が全く動かないのを知りながらハマッたままの人、高台でもない単に近所のグランドに避難した人、などがたくさんいたそうだ。
父は逃げながらそんな人たちに早く高台に逃げるよう声を掛けたらしい。
避難所へ行くには、比較的幅の広い「砂押川」に掛かる橋を渡る。
父は目にした。川には水がなかった。
津波の前触れである。
そして、まず海の方向から水が来た。
その後、砂押川が満杯となり、堤防が決壊。
うちの実家は位置的には海と砂押川との間にある。
アウトだ。
警報からおよそ40分後のことだったそうだ。
ホッ。危ない危ない。
しばらくして、その小学校に通う姪っ子と、パートに出ていた弟の嫁と体育館で合流。
外は相変わらずの雪。寒い。
それでなくとも体育館は底冷えし、寒い。
その時弟は仕事で茨城の大洗付近におり、翌日夜まで合流出来なかった。
さて、そんな冷蔵庫のような体育館で渡されたのは毛布2枚のみ。
日が落ちてくる。
すぐに真っ暗になる。
当然電気は来ない。
暖房もない。
突然の大災害に小学校も万全の準備は出来ていなかった。
食事もない。
最初の頃は1日に1人リッツのクラッカー2枚だけだったそうだ。
市役所か学校の職員に「すみませんが、これで1日持たせてください」と言われたそうだ。
かわいそうで聞いているこっちが泣きたくなる。
何日かして、それが今度はおにぎり1個になった。
それでもまだ1日1個である。
弟の話では、その時市の職員は「幕の内弁当」を食っていたらしい。
避難所では皆不満が爆発寸前だったとのこと。
酷い。
テレビではこの大震災にもかかわらず、日本人の冷静で常識ある行動が賞賛されたと言っていた。
しかし、実際には略奪や火事場泥棒が横行したようだ。
茨城ではコンビニに食料納入のトラックが来ると、まるでアリのように我先に人が群がっていった様子を、弟が戻る途中目にしたらしい。
それにしても火事場泥棒は酷い。
被災したエリアは当然に空家だらけとなる。
そこに空き巣に入るのだ。
もう取り放題。
そいつらは人じゃない。
見つけたら殺してやりたい。
うちは大丈夫だった。
灯油タンクも中身は抜かれていない。
窓も割れなかったから部屋の中にも入られなかった。
そういえば、うちから更に海側には数年前に三井不動産がこしらえた巨大なアウトレットモールがある。
その巨大な建物には、水が2階まで上がったらしい。
その後、水が引いたあと、何者かが窓ガラスを割り、中の商品をだいぶ持っていったらしい。
水に浸かった商品はクリーニングにでも出してネットオークションで売るのだろうか。
せこい。
あと、仙台港で流された数千台の新車。
これはタイヤを取られたらしい。
新品だからね。ちょっと洗えば売れる。
アウトレットの件は、不法侵入で泥棒となり犯罪だと思うけど、タイヤはどうなんだろう?
新車だとナンバープレートないし。
流されてそこら辺に放置してあるし。
所有者不明扱いかな。
取っても犯罪じゃないのかな。
そして更に海側に行くとキリンビールの工場があるが、そこの巨大なタンクが倒れ周辺はビールだらけ。
在庫の缶ビールも相当数流されたようだ。
父の知り合いが、そこでかなり拾ってきたらしく、お見舞いと称し30本ほど実家に置いていった。
それもせこい。
でも、もらったから、まいっか。
そして避難所には徐々に支援物資が入ってきたが...。
続く.....。
次回が最後ですよ。。。(^^;)
一見すると分からないが、よく見るとさすがに皆疲れている。
当然だよね。
父と小さい甥っ子が風邪を引いていた。
また、他の人たちも体調悪そうに見える。
体育館ステージ前にある、でかいテレビでは高校野球を映していた。
地震当日、ここに来た時の父の話が生々しい。
その日父は共働きの弟夫婦の代わりに甥っ子を車で保育園に迎えに行くところだった。
そしてあの激しい揺れの中、車から降りてガードレールにしがみ付き、収まるまでしゃがんでいたそうだ。
揺れが止み甥っ子を車に乗せ、家に着くや否や当然のように地震警報が町内に響き渡る。
“6mの津波が来る”とのこと。
父は急いで甥っ子を車に乗せ、指定避難所である小学校へ出発。
ところが幹線道路に接続するまでの路地は既に渋滞。
今となっては、この渋滞が幸いした。
もし、タイミング悪く道路に乗った後に渋滞に巻き込まれていたら、津波を受けたかもしれなかった。
今回は車の中で溺死した人が数多くいた。
彼らは車を放置して逃げることをしなかった。
渋滞で後続の車の迷惑になるから降りられなかったのか。
父は、やむを得ず引き返し、車を置いて徒歩で再出発。
雪がたくさん降っていたようで、甥っ子は徒歩を嫌がったらしい。
しかし、父は冷静だった。
誰もが「こんなところまで津波は来やしない」と高をくくっていたか、「そんなすぐに来るはずがない」と甘く見ていた。
実際、ここは海からは5〜6kmある。
だから、のんびりと逃げようともしない人、渋滞で車が全く動かないのを知りながらハマッたままの人、高台でもない単に近所のグランドに避難した人、などがたくさんいたそうだ。
父は逃げながらそんな人たちに早く高台に逃げるよう声を掛けたらしい。
避難所へ行くには、比較的幅の広い「砂押川」に掛かる橋を渡る。
父は目にした。川には水がなかった。
津波の前触れである。
そして、まず海の方向から水が来た。
その後、砂押川が満杯となり、堤防が決壊。
うちの実家は位置的には海と砂押川との間にある。
アウトだ。
警報からおよそ40分後のことだったそうだ。
ホッ。危ない危ない。
しばらくして、その小学校に通う姪っ子と、パートに出ていた弟の嫁と体育館で合流。
外は相変わらずの雪。寒い。
それでなくとも体育館は底冷えし、寒い。
その時弟は仕事で茨城の大洗付近におり、翌日夜まで合流出来なかった。
さて、そんな冷蔵庫のような体育館で渡されたのは毛布2枚のみ。
日が落ちてくる。
すぐに真っ暗になる。
当然電気は来ない。
暖房もない。
突然の大災害に小学校も万全の準備は出来ていなかった。
食事もない。
最初の頃は1日に1人リッツのクラッカー2枚だけだったそうだ。
市役所か学校の職員に「すみませんが、これで1日持たせてください」と言われたそうだ。
かわいそうで聞いているこっちが泣きたくなる。
何日かして、それが今度はおにぎり1個になった。
それでもまだ1日1個である。
弟の話では、その時市の職員は「幕の内弁当」を食っていたらしい。
避難所では皆不満が爆発寸前だったとのこと。
酷い。
テレビではこの大震災にもかかわらず、日本人の冷静で常識ある行動が賞賛されたと言っていた。
しかし、実際には略奪や火事場泥棒が横行したようだ。
茨城ではコンビニに食料納入のトラックが来ると、まるでアリのように我先に人が群がっていった様子を、弟が戻る途中目にしたらしい。
それにしても火事場泥棒は酷い。
被災したエリアは当然に空家だらけとなる。
そこに空き巣に入るのだ。
もう取り放題。
そいつらは人じゃない。
見つけたら殺してやりたい。
うちは大丈夫だった。
灯油タンクも中身は抜かれていない。
窓も割れなかったから部屋の中にも入られなかった。
そういえば、うちから更に海側には数年前に三井不動産がこしらえた巨大なアウトレットモールがある。
その巨大な建物には、水が2階まで上がったらしい。
その後、水が引いたあと、何者かが窓ガラスを割り、中の商品をだいぶ持っていったらしい。
水に浸かった商品はクリーニングにでも出してネットオークションで売るのだろうか。
せこい。
あと、仙台港で流された数千台の新車。
これはタイヤを取られたらしい。
新品だからね。ちょっと洗えば売れる。
アウトレットの件は、不法侵入で泥棒となり犯罪だと思うけど、タイヤはどうなんだろう?
新車だとナンバープレートないし。
流されてそこら辺に放置してあるし。
所有者不明扱いかな。
取っても犯罪じゃないのかな。
そして更に海側に行くとキリンビールの工場があるが、そこの巨大なタンクが倒れ周辺はビールだらけ。
在庫の缶ビールも相当数流されたようだ。
父の知り合いが、そこでかなり拾ってきたらしく、お見舞いと称し30本ほど実家に置いていった。
それもせこい。
でも、もらったから、まいっか。
そして避難所には徐々に支援物資が入ってきたが...。
続く.....。
次回が最後ですよ。。。(^^;)
posted by かついぬ at 18:25| Comment(2)
| 日記
2011年03月28日
実家が被災...(>_<)その壱
3月26日、この度の大震災で被災した実家へ高速バスで必要物資を持って復旧に行ってきた。
たまたま前日より東北自動車道が復旧したので9〜10時間かかるのをある程度覚悟したが5時間半で仙台に到着していた。
助かった。
実家は宮城県多賀城市。
仙台の隣であの燃え尽きたコンビナートから4〜5キロ程のところにある。
また、津波の被害を受けたソニーの工場にほど近い。
仙台からは、以前の会社の同僚の車に乗せてもらった。
ありがたい。
国道45号線を多賀城に向かって走る。
途中、渋滞がいくつかあった。
2車線のうち1車線塞がっていた。
給油待ちの車だ。
長い。何キロ連なってる?
3〜4時間待ちらしい。
もうじき多賀城市。
あれっ?また渋滞。給油?
違う。
津波でお釈迦になった車や廃材が歩道のほかに1車線塞いでいた。
とりあえず、市がユニックで道路わきに除けたらしい。
それら車には「所有者の方はこの車両を退けてください」みたいな貼り紙がしてある。
法律では行政が勝手に移動できない。
が、特例措置が発令され、一定期間後市が処分できるようだ。
さらに進む。
ゴミが増える。そしてまた渋滞。
今度は信号が消えている。
交通整理の警察もいない。
大きい国道だよ、ここは。危ない。慎重にね。
この辺は水を被った停電エリアのようだ。

そして、ようやく国道から実家近くのバス通りへ折れる。
その実家に向かうためにバス通りからさらに一本路地を入った。
とたんに目を疑った。
事前に電話では聞いていたが、まるでテレビで見た“戦時中のイラク”状態である。
途中、45号線は多賀城市が近づくにつれてスクラップ状態の車や廃材が道路わきに増えてはきていたが、とりあえず道幅も広いせいか「まぁこんなもんだろうな」としか感じなかった。テレビでもっと酷い石巻や気仙沼の映像も見ていたし。
ところが、である。
ただでさえ2台すれ違うのがやっとの生活道路の両脇にゴミが人の背丈くらいに積み上がっていた。
さらに、車がひっくり返っていたり、塀の上に後輪が乗っていたり、2台積み重なっていたり...。
あと、道路が泥だらけ。
よく見ると、人が長靴を履いて家から運んだ瓦礫などのゴミを道路に積んでいる。
どうやら車同様あとで市が処分しに来るらしい。
ホントに?
いつ来るの?
思わず合流した弟に聞いたが、ただ苦笑しているだけだった。
あとで聞いた話では、この震災で発生するゴミはなんと23年分に相当するらしい。
ちなみに多賀城市のゴミ焼却場は損壊し稼働していない。

そんなゴミの中、車をそろそろ走らせ家の前へ。
父はすでに避難所から来ていて外の水洗い場で何か洗っていた。水はそこだけチョロチョロ出るらしい。
弟に続き長靴のまま土足で家の中に入ってみる。
「あららら...」
床面からおよそ160cmくらいだろうか。壁に水の上がった跡がある。
そして、ほぼ乾いてはいるが、その壁、床とも泥だらけ。。。
風呂、洗面所、台所、和室も悲惨である。
柱、梁、土台を調べた。
大丈夫そう。
リフォームすれば何とかなるか。
ただし、電気配線、給湯器、水回りなどは全部ダメ。
家電、畳、布団などの家財はほぼ捨てた。
弟夫婦の住む2階はとりあえず無事。
でも何がある?
あっ、ブラウン管テレビか...。
そういえば車は?
当然ダメです。。。
父の車は庭で水没。
弟の車は仙台港近くの会社で水没。
ちなみに、この津波で多賀城市だけで3000台の車がお釈迦になった。
その他、仙台港では各自動車メーカーの新車がそれぞれ各600台づつ。
その新車たちが水没する様子はテレビでもやってたね。
仙台港近くにはタンクローリーの基地も数多い。
その重いローリーが、幾台も海岸まで流されたらしい。
恐るべし水の力である。
さて、これからどうするか。
避難所は小学校の体育館。
もうじき学校が始まる。
いつまでも居れない。
追い出されはしないだろうが、きっと他の避難所への移動を余儀なくされる。
大変だ。
仮設住宅などいつ出来るか分からない。
避難所生活はハタから見ている以上に過酷である。
何週間も居れるものではない。
事実、体調を崩し、皆風邪を引いていた。
限界だ。
実はそれをすぐに察知した弟は、26日のこの日にアパートを契約してきていた。
金も払い、鍵ももらってある。
この日、生きてる布団や衣類、灯油ヒーターなどそのアパートに運んだ。
ところで、今回の震災で賃貸市場はどうなのだろか。
聞いた話では、まず不動産屋が震災後2週間経ってようやくポツポツと稼働してきた。
貸せる部屋は?
水の被った場所は当然にアウト。
それ以外の場所でも、ここのところの朝の冷え込みで破裂した給湯器が結構あるらしい。
東北など寒いところでは空家であっても冬は電気ブレーカーを落とさない。
給湯器の電熱線に通電させるためである。
ところが、停電。
弟の契約した部屋も給湯器が壊れたまま。
その分家賃は安くしてもらったし、漏水はないので契約した。
いつガスが使えるようになるのかは未だ不明。
業者はてんやわんやだし、物も入らない。
以上より、供給は圧倒的に少ない。
弟は運が良かった。
契約したその業者ではその1物件きりだった。
他の業者に聞いてみたら、皆電話一本で決めるようだ。
内覧しない。家賃交渉しない。
あたりまえか。。。
恐らく、ちゃんと貸せる物件はいくつもない。
さてさて、アパートに荷物を運び入れたあと、弟の嫁と2人の子が待つ例の避難所に行った。
もう夕方4時くらい。
体育館の中は思っていたより寒くないな、と感じながら中を見回した。
と、その時...。
長いので続きは明日ね。
いちいち皆に話すのは面倒なので、このブログに事細かく書いて済まそうと思います。
気の重くなる話だし、いいでしょ?(^^;;)
たまたま前日より東北自動車道が復旧したので9〜10時間かかるのをある程度覚悟したが5時間半で仙台に到着していた。
助かった。
実家は宮城県多賀城市。
仙台の隣であの燃え尽きたコンビナートから4〜5キロ程のところにある。
また、津波の被害を受けたソニーの工場にほど近い。
仙台からは、以前の会社の同僚の車に乗せてもらった。
ありがたい。
国道45号線を多賀城に向かって走る。
途中、渋滞がいくつかあった。
2車線のうち1車線塞がっていた。
給油待ちの車だ。
長い。何キロ連なってる?
3〜4時間待ちらしい。
もうじき多賀城市。
あれっ?また渋滞。給油?
違う。
津波でお釈迦になった車や廃材が歩道のほかに1車線塞いでいた。
とりあえず、市がユニックで道路わきに除けたらしい。
それら車には「所有者の方はこの車両を退けてください」みたいな貼り紙がしてある。
法律では行政が勝手に移動できない。
が、特例措置が発令され、一定期間後市が処分できるようだ。
さらに進む。
ゴミが増える。そしてまた渋滞。
今度は信号が消えている。
交通整理の警察もいない。
大きい国道だよ、ここは。危ない。慎重にね。
この辺は水を被った停電エリアのようだ。
そして、ようやく国道から実家近くのバス通りへ折れる。
その実家に向かうためにバス通りからさらに一本路地を入った。
とたんに目を疑った。
事前に電話では聞いていたが、まるでテレビで見た“戦時中のイラク”状態である。
途中、45号線は多賀城市が近づくにつれてスクラップ状態の車や廃材が道路わきに増えてはきていたが、とりあえず道幅も広いせいか「まぁこんなもんだろうな」としか感じなかった。テレビでもっと酷い石巻や気仙沼の映像も見ていたし。
ところが、である。
ただでさえ2台すれ違うのがやっとの生活道路の両脇にゴミが人の背丈くらいに積み上がっていた。
さらに、車がひっくり返っていたり、塀の上に後輪が乗っていたり、2台積み重なっていたり...。
あと、道路が泥だらけ。
よく見ると、人が長靴を履いて家から運んだ瓦礫などのゴミを道路に積んでいる。
どうやら車同様あとで市が処分しに来るらしい。
ホントに?
いつ来るの?
思わず合流した弟に聞いたが、ただ苦笑しているだけだった。
あとで聞いた話では、この震災で発生するゴミはなんと23年分に相当するらしい。
ちなみに多賀城市のゴミ焼却場は損壊し稼働していない。
そんなゴミの中、車をそろそろ走らせ家の前へ。
父はすでに避難所から来ていて外の水洗い場で何か洗っていた。水はそこだけチョロチョロ出るらしい。
弟に続き長靴のまま土足で家の中に入ってみる。
「あららら...」
床面からおよそ160cmくらいだろうか。壁に水の上がった跡がある。
そして、ほぼ乾いてはいるが、その壁、床とも泥だらけ。。。
風呂、洗面所、台所、和室も悲惨である。
柱、梁、土台を調べた。
大丈夫そう。
リフォームすれば何とかなるか。
ただし、電気配線、給湯器、水回りなどは全部ダメ。
家電、畳、布団などの家財はほぼ捨てた。
弟夫婦の住む2階はとりあえず無事。
でも何がある?
あっ、ブラウン管テレビか...。
そういえば車は?
当然ダメです。。。
父の車は庭で水没。
弟の車は仙台港近くの会社で水没。
ちなみに、この津波で多賀城市だけで3000台の車がお釈迦になった。
その他、仙台港では各自動車メーカーの新車がそれぞれ各600台づつ。
その新車たちが水没する様子はテレビでもやってたね。
仙台港近くにはタンクローリーの基地も数多い。
その重いローリーが、幾台も海岸まで流されたらしい。
恐るべし水の力である。
さて、これからどうするか。
避難所は小学校の体育館。
もうじき学校が始まる。
いつまでも居れない。
追い出されはしないだろうが、きっと他の避難所への移動を余儀なくされる。
大変だ。
仮設住宅などいつ出来るか分からない。
避難所生活はハタから見ている以上に過酷である。
何週間も居れるものではない。
事実、体調を崩し、皆風邪を引いていた。
限界だ。
実はそれをすぐに察知した弟は、26日のこの日にアパートを契約してきていた。
金も払い、鍵ももらってある。
この日、生きてる布団や衣類、灯油ヒーターなどそのアパートに運んだ。
ところで、今回の震災で賃貸市場はどうなのだろか。
聞いた話では、まず不動産屋が震災後2週間経ってようやくポツポツと稼働してきた。
貸せる部屋は?
水の被った場所は当然にアウト。
それ以外の場所でも、ここのところの朝の冷え込みで破裂した給湯器が結構あるらしい。
東北など寒いところでは空家であっても冬は電気ブレーカーを落とさない。
給湯器の電熱線に通電させるためである。
ところが、停電。
弟の契約した部屋も給湯器が壊れたまま。
その分家賃は安くしてもらったし、漏水はないので契約した。
いつガスが使えるようになるのかは未だ不明。
業者はてんやわんやだし、物も入らない。
以上より、供給は圧倒的に少ない。
弟は運が良かった。
契約したその業者ではその1物件きりだった。
他の業者に聞いてみたら、皆電話一本で決めるようだ。
内覧しない。家賃交渉しない。
あたりまえか。。。
恐らく、ちゃんと貸せる物件はいくつもない。
さてさて、アパートに荷物を運び入れたあと、弟の嫁と2人の子が待つ例の避難所に行った。
もう夕方4時くらい。
体育館の中は思っていたより寒くないな、と感じながら中を見回した。
と、その時...。
長いので続きは明日ね。
いちいち皆に話すのは面倒なので、このブログに事細かく書いて済まそうと思います。
気の重くなる話だし、いいでしょ?(^^;;)
posted by かついぬ at 19:28| Comment(0)
| 日記